2012/05/10

ルネ・ポレシュ作 「皆に伝えよ!ソイレント・グリーンは人肉だと」

なんと、2006年にムロさんと観に行った、ドイツの劇作家・演出家ルネ・ポレシュが自作を演出したtpt公演「皆に伝えよ!ソイレントグリーンは人肉だと」の脚本を文字お越ししたデータがHDに眠ってました!もう6年も前の話しか、、、。時が経つのは早いな、、、。












以下、脚本全文です。ご興味のある方は是非。

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ルネ・ポレシュ作

「皆に伝えよ!ソイレント・グリーンは人肉だと」

おカネは不滅でなければならない、なぜならおカネは、いつでも、どんなときでも、この世のあらゆる商品と等しい価値を、持ち続けるべき存在だから。おカネとはそもそも、存在しないものから、不滅のマテリアルからできているに違いない。わたしはあなたを愛している。あなたは傷つき破れてる、傷つき破れたお札は、銀行で取り替えてくれる。お札そのものには価値はない、価値があるのは、その上に表示されていることだけ。ソイレント・グリーンは人肉だって、みんなに伝えて。

ビラを印刷しよう。みんなに知らせなくちゃ!ソイレント・グリーンは人肉だと!海はもう空っぽ、プランクトンは絶滅、ソイレント・グリーンは人肉。もうプランクトンはいない、大豆もない。残っているのは人肉だけ!

不滅の価値、「セックス」、この言葉があなたの滅びゆくマテリアルの上に表示されてる。

ウー・ベイビー!

あなたの持っている価値は、どうして表示されてないの?おカネの表面と同じように?!どうしてあなたには表示されてないの?おカネと同じように?

人生を現実的に遂行することと、人生を哲学することは、おカネによって完全に切り離されてる。「超越」は、おカネによってこの世界に登場した!つまり、物質的なものから解き放たれるマテリアル。それが具体的に実現されたのがおカネ。お札は破損すれば銀行で交換できるから。おカネは、価値それ自体を象徴する、つまり、欲望されうるあらゆるモノのポテンシャルを象徴する。おカネは不滅でなければならない、なぜならおカネは、いつでも、どんなときでも、この世のあらゆる商品と等しい価値を持ち続けるべき存在だから。自らの欲望がおカネによってはるか遠くに先送りされ管理されてる、それを理解する為に、資本主義を経験し続けてきた今、なにが必要か。おカネさん、ダメ市民さん、あなた銀行に行って自分を取り替えてもらうんでしょ、そんなに傷ついちゃって。

このクソ、ここには表示されていない、ファックはここではこのクソの上には表示されちゃいない、だけどここにファックが表示されてなければ、このクソにはいったいどんな価値があるっていうんだろう!クソの上に!なんとかっていうアレとか、せめてソイレント・グリーンとか、表示されてればよかったのに、このクソには表示されてない。クソの上にはまだ、人肉とすら表示がない。それすらない。

「肉だ! オー・マイ・ゴット! 今になって味わえるとは!」って七十年代のSF映画「ソイレント・グリーン」のなかで、エドワード・G・ロビンソンは言う。肉なんてめったにお目にかかれないんだけど、ラストでチャールトン・ヘストンがこの社会の謎を暴き、みんながずっと人肉を食らってたんだってことが明らかになると、そうか、この映画のなかではずっと、肉があちこちたくさん歩き回ってたんだって。

「ソイレント・グリーン・アー・ピープル」って、チャールトン・ヘストンは言ってた、なんていうか、変な英語。

あなたが死んでるっていうことは、そこに表示されてる?あなたはそこに横たわってるけど、どうして表示されてないのかな、それとも生きてるって、どうして表示されないのかな。おカネと同じように。あなたがおカネみたいだったらいいのに、どんな価値があるのか、死んでるのか生きているのか、表示されたらいいのに!

わたしが、あるいはあなたが重要なのはどうしてだろう?どうしてあなたの価値は表示されてないんだろう、おカネみたいに。世界とか、セックスとか、わたし自身とかいうものの、あり得る姿、あり得た姿、そのすべてをあなたはなかに含んでるのかな、おカネみたいに?それはわたしのために抱えてるの?あなたを見るといつも思う、あり得ただろうものをあなたはすべて含みこんでる、おカネとおなじようにって・・・。今、あなたはここで死んでいく!おカネは不滅のマテリアルからできているはずなのに、あなたはここで消えていく。いまの音楽はかつてないほどすばらしく、わたしたちの愛しあいかたはかつてないほど、身の毛がよだつ。

おカネは分かち合えないもの、痛みなんかと同じように、病気もそう。病気は分かち合えないもの。病人はとくに、それが意味するのは、他でもない自分だとよくわかってる。おカネとは、これこそが自分自身だとみなすものを、そこに含んでいると推測される。

ダメ市民さん!お札さん、あなたは銀行へ行って、自分自身を取り替えてもらおうと思ってる、なぜならまだ大きな価値を持っているから、でもあなたはほんとうにぱっと見クソ。お金と同じ!お札は、見かけはクソだけど、それでもすごく価値がある。表示されてる分きっちりと。ある種の非物質的な物質として。見かけはクソでも、大きな価値を持つものがある。お金と同じように!あなた自身が自分に抱く価値判断を、おカネはその中に含んでいるとあなたは思ってる。おカネは自分とつながりがあると考えてる。あなたはおカネ。そうであってほしいとは思ってないけど、でもイカした思考モデルではある!おカネにはあなたと似たところがあるし、あなたとあなた自身とのつながりかたとも似たところがある。あなたは銀行に行っておカネを借りようとする。でも絶対貸してくれない、それが、あなたとあなた自身とのつながりかた、それはおカネ。分かち合えない。あなたはそこで、孤独に、自分とだけ向き合ってる。自分自身と、おカネと、このクソ、分かち合えない!このダメ市民!あなたはここじゃ、だれとも、なにも分かち合えない!

わたしたちがここで語るのは大まかなストーリーで、実際に起こることとはほとんど関係がない、このズレこそわたしたちの意識であり、ここではそれを、ポスト・ヒューマンと呼ぼう!

映画の「ブギー・ナイツ」は、ポルノの撮影の話、クソの撮影の、そこではチープな映画みたいに社会について語られる!安っぽい人間たちが一緒になって活動している映画みたいに。この映画、なによりすてきなのは、怒りっていうものが出てこない。怒りの感情が、まったく、すっかり取り除かれてる。たとえばだれかが、ようイカシタ肉野郎、とか、イカシタ人肉野郎!とか言っても、ほんとにだれも怒らない。みんなお互い、すごく友好的に話し合う。そしてそんなお追従を聞いていながら、だれでもいつでも、めちゃくちゃ幸せそうだ!お前たちは俳優だと言われたあとに、じゃあアレをズボンから引っ張り出せと言われても、ひどい扱いを受けるとは思ってないんだ、俳優たちは。やつらはあっさりアレを取り出すと、そいつでもってあたり構わずファックしたり、あちこちでぶらぶら振り回したり、自慢したりする。ブルク劇場のヨーデル免許とかじゃなくて、自分の才能を。自分の得意とするものを。そう、最高だったのは・・・エンディングでマーキー・マークが自分の三十センチのモノをズボンから取り出すと、立ち上がる。あたまは画面から切れて見なくて、その代わり声だけが聞こえてくる。
アイム・ア・スター。アイム・ア・スター。アイム・ア・スター。

あなたってほんとうに最高の肉ね。メス馬さん。あなた、ほんとに、女ったらし。ほんと、いいタマ。腐れ野郎!

あれえ、ここ、一九七七年のサン・フェルナンド・バレーじゃない!モーリスがあいさつしてくる。ジャッキー・ジャック・ジャック・ジャック・ジャック・ジャックとミス・アンバー・ウエイヴズ。ジャッキー・ジャック・ジャック。わたし、人形だったらよかった!ジャッキー・ジャック・ジャックがあいさつしてる。それとモーリス、クソ野郎。わたし、人形だったし、人形は人生なんて背負ってない。わたし思ってた、それでも自分が変われたらいいのにって!わたしのクソ官能的な体験なんて、ほんとに惨めなものだし、人間的な価値に血肉を授けるためにって、あなたがお気楽に開陳して回ってる文化的なクソ、そんな肉とか血とかなんてものでも一切なかった。わたしの人生、こんなんじゃなかった!

ポルノでは、愛はクリアな概念じゃない、それっていい。ポルノでは愛なんてクリアな概念じゃない、それっていい!このクソのなかでは!人形さん、それともおカネさん!人生なんて背負ってないときにだけ、このクソみたいなものが理解できる。背中に人生なんてもの背負ってないときにだけ、あなたが理解できる!つまり、背後に人生をイメージしようなんて思わなければ。たとえばおカネを理解しようとするときは、ふつうそうしがち。背後にいろんな人生をイメージしてしまう。百ドルと引き換えの人生、千ドル、百ドルと引き換えの人生。それからクソみたいな俳優の背後にも、人生をついイメージしてしまう!だけど、背後にあるつながりのないクソが、クリアになることなんてない。

あなたを愛してる、そしてポルノでは愛なんてクリアな概念じゃない、それっていい。クソックリアにされた概念の上じゃ、だれも安らげないもの。概念をクリアにするとか、そんなことのために、みんなファックしてる。愛を探すために、とことんファックしてる!この概念を、最終的にクリアなものとするために。

彼はたとえば「やあ、いかしたクソ女」とかなんとかわたしに言う、わたしは彼の敬意をありがたく受け取って、「ハイ、モーリス」なんて返事する!するとモーリスが、お前のケツは最高だ、って。わたしたちはホット・トラック・ナイト・クラブの通路を歩いてって、見つめ合う。おまえは世界一セクシーな売春婦だ!ええ、ありがとう。

あなた、ほんとうに最高の肉。この変態。

うん、ありがとう。

あなた、魅力的。ほんとに。すごいベテラン。すごい腐れ娼婦。

ありがとう。

ここでみんなといるのは楽しいよ、ファッカーたち!

あなたは永遠に年齢不詳、このクソ野郎!どこかおカネと似ている。あなたはおカネみたい、見かけがクソになったら取り替えてもらう!銀行でね!ここでクソを取り替えてもらえるよ!

何か他のものと。

あなたは価値を失わない、なんて思うかも!それとも、あなたの見かけがクソになったら、取り替えてもらえる、とか。演じてるだけのクソ人生みたいに。どこかあなたは考えてる、これが自分自身だと思ってるものがおカネに含まれていると・・・。

    ・・そして、可能性のマネージメントを。自分自身を取り替えてもらえる、と!

お尻がどうとか、お褒めいただいてありがとう。わたしの名前はアンバー。

あなたのこと何かで読みました。「アンバーのなかで」とか。あれ、あなたの作品でしょう?

そう、わたしの。そのクソはわたしの作品、そのクソポルノ!この変態。

いま、ここで、ファックする?ローラー・ガール?どうする、いまここでファックしようか?

うん、しよう!

アンバーのなかで、アンバーのなかにいた、ポルノだ!

やつらが映画の最中、ハリウッドで、演技をしようと思ってるのと同じように、わたしたちもここで、そこらじゅうでファックしてる最中、ラブストーリーのなかにいると思ってる。

ファックだ!

うわあ、わたしたちの会話ってとことん非芸術的、すっばらしい!

わたしたち、人間の根本について了解しあった上でここに集まってるわけじゃない、それもすてき!

おカネのせいで、関係はバラバラ。

ありがたいことに、そこのポルノ顔の背後に人生なんて隠れてないってところからスタートできる。もしそうじゃなかったら、あなたの前でつながりある経験を組み立てようと、ひたすらがんばらなくちゃならないところだった。

ひょっとしたらポイントはおカネかも。じゃなかったら、これが自分だと思っているものがおカネには含まれているとか、ここってつながりってものがすっかり欠けてるとか、わたしが考えてるってことかな。
これってラブストーリーだと思ってた。でも、ここはもうファックだらけ!人々はおカネのように、つながりのないポルノセットの前でどたばたと走り回り、つながりのある感情を手に入れようとしている、つながりのないセットの前でね!

このポルノにはつながりなんてない!

でも、それでもなんとなく、感情をつなげようとする動きはある。あるいは、それを調達しようという試みくらいは。

なにかは感じるんだけど、でもそれは、どこか、完全にはつながりはない。

だからこそ、ストーリーなんてものも必要ない。なにかそれに似たものだけあればそれでいい。一度も起こったこのないものごとに関する、大まかなストーリーさえあれば。

あなたしょっちゅう聞いてばっかり、それから?それから?それから?でもそんな「それから」なんてない。「それから」の先には、なんいも起こらない。

映画を作るためには、でかい数字の書かれたすてきなグリーンのドル札が山のように要る。スタジオに、編集にで、あっという間に二万ドル、三万ドルと消えていく。けれど、一旦当たれば、ものすごい金が転がり込む・・・

ジャックのウチを見た?

見たら目のため飛び出るよ。

・・・きみの香りかいじゃおう・・・

おしっこしたい。

お尻もぞもぞさせちゃって、なにか問題?問題ある?意味の分配に関する問題、それともおカネの分配に関する問題、役の分配、性的役割の分配の問題?

なに言ってんの?おしっこしたいんだけど。

なに言ってんの?

おしっこ。聞こえたでしょ。

そうか、ならしなよ。すればいい。そこでぼうっと突っ立って足をぎゅっと閉じてないで、どうしてもしたければ、おしっこしなよ、ほら、さっさとしちゃいな。したいならすればいい、そこで足閉じてないで、できないのかな、この世界最高の肉女、そんなところで立ちつくして、あんたのクソ足とかクソ小便とかそんなことでぎゃあぎゃあ言ってない、さあ、とっとと行きな、わたしの機嫌がもっと悪くなる前に。あんたがおしっこ我慢してるのを、一緒になって眺めてるわけにはいかないよ、このクソ女。どうしてもしなきゃいけないことは我慢しない!

わかった、じゃあ、する。

それはうれしい。

あなたがどんな風におしっこするのか、ウンチするのか、もう忘れちゃってる。それって、前はけっこう構大事なことだったんだけど。大事なことだった、あなたがどんなふうにウンチするのかってこと!どんなふうにおしっこするのか、どんなふうにファックするのか!このバイオポリティクス的クソ!このクソヤマトナデシコ!ダメ市民!

このポルノ映画の観客席は、映画のなかで行動する主体と常に向きあってる!

ぐっすりおやすみ、ハニー。今のままのきみでいて!

わたし、ハローって言いたかった、息子にハローって言いたかった、それだけ。ハーイ、わたしよって。もう遅いのはわかってる、だれかがいるってわかってる。息子にハローって言いたかった。あなたに言いたいことがあるの、あなたがまだ知らないこと、わたしいい弁護士を知ってる、はったり言ってるってあなた思うかも、でもそんなことしない、だれかさん、おねがい、おねがい、あなたが憎い。だれかがだれかとそんあことできるなんて、考えられなかった、考えられない。ええ、わたしは知ってる、ポルノスターが法律上の援助を受けてるって、でもわたしだって弁護士くらい調達できる。わたしだって!たとえば、アンバーのなか、つまりわたしのなかには。あなた、なんてこと言うの!だまって、だまって、だまって!でも外でなら、わたしの弁護士がきっと見つかる!わたしだってつながりをもって街を歩きまわれる。どこかいって弁護士を雇う。

きものモノはほんとうに衝撃的だ!

あなた、アレがどれほど上手か、わかってる、セックスのことだけど?

うん、わかってる。

どれだけセックスがうまいか、ホントにわかってる?知ってるの?

どんな人間でも、ひとつくらいうまくできることがある。つまり、だれでもひとつ、特別なものをもってるってこと。だれでもひとつは特別な才能に恵まれてる。それを使ってスターになりたい。有名なスターに。そうなりたいし、実際そうなると思う。アレで、偉大なスターになろうと思う。スター!スター!スター!

映画に行ったんだけど、とっとと出てきた。あんな非芸術的なクソ、眺めてられなく。「イッタ」あとじゃね。ああそうさけっこう入り込んじゃう映画だったし、ストーリーもおもしろかったけど、なにしろ「イッちゃった」わけだし、あんなクソ見てどうしろっていうんだ。あんなポルノ映画?ストーリーにも、何本のペニスにも、イッタあとじゃもう興味ない。ペニスにはもう用がない!きみのペニスにだって、もう興味ないよ、ベイビー!なんたってもう出しちゃったし、ほら、そこ見て!

よかったこんなところできみを見つけ出せて。調子はどう?

俺はジャック・ホーニー、映画屋だ。大人の映画を作ってる、エロチックなやつだ、おとなのためのエロい映画。そういうの、なんて言うっけ。ああ、成人映画ね。クソだ、俺はそんなものを撮ってる、クソを。俺は撮ってる!

あなたのこと、雑誌で読んだことがある。「ナターシャのなかで」とか、「ナターシャのなかに」とか。そういう映画、やってる。ナターシャのなかで。そう、ぼくらはナターシャのなかにうんと深く入り込んで行く、その他の女の子にも、ぜんぜん違う女の子のなかにも。そして、ナターシャのなか!ナターシャのなかへ!だれかのなかへとはいっていく、あなたのなかには映画館があって、そこではこのエロチックな成人映画を上演してる。

わたしは死んでいる。

わたしは人形になりたい。

ええ、そうなりたい。じゃなければ、金で出来た十七歳のクズ野郎だったらいいと思ってた。見かけがクソになったら、自分自身を取替えに行く!

銀行で!

このクソポルノ!この金でできた十七歳のクズ野郎!わたしのテーブルにおいで。きみをみつけ出せてとてもうれしいよ、こんな酒場でね。きみを映画スターにしてやろう。ああ、ありがたい!

今回、撮影クルーはこじんまりといきたいんだ。気の置けないくるーでね。リラックスできる雰囲気の。このなかで撮影を?みんな来るの?あした終わるかな?あした終わるといいな。あしたはきっとすべてがうまくいく。これからポルノスターをひとり探さないと。わたしのポルノ映画に出てくれるスターが、まだいないんだ。

あなたはいったいだれ?

だれでもない!だれでもない!

わたしはひたすら、くたくたになるまで、働かなくちゃ。あなたがわたしを愛してるって保証はないんだから。

それはそう。ぼくはここでずっとだれかほかの人とファックしてるんだ。このポルノのなかではもちろん保証なんてない、ぼくがあなたを愛してるって!

アノ声を。

ああ、ああ、ああ!

さあ、きて、わたしのなかへ!

クソ、クソ、クラブが閉まっちゃった!クラブは店じまい、みんなおウチに帰っちゃう!出口に行ってみよう、あそこ歩いてるのはだれ、ダーク・なんとかってやつ、豚野郎。

わたらない、たぶん音楽がわたしにはよすぎるのかも。肉!信じられない!いまになってこれが食べられる!

あなたはおカネ!

あちこち歩き回るお札とか、そういうもの。

こういうすべての歩き回るお札、そいつらは人生で初めて肉を見る。

わたしは肉を見て、ワイルドになる。なんかすごくワイルドになってきた!

もう一度したい!もう一度したい!もう一度したい!

うるせえ!もう行くんだよ、この淫乱女。

もう一度したい!あなたってすごくすてき!あなた、どれほどアレが上手いかわかってる?ほら、これ!これ、なんていうだっけ?あなたがここでわたしとしてたやつ。ファック!あなたすごい才能!ファックの達人。

ああ、スターになりたい。

どんな人間も特別なものをもってるんじゃない?つまりね、どんな人間にもすばらしいものがあるんじゃないの。つまり言いたいのは、だれでもすごくすてきなものを持ってるんじゃないかってこと。だれもがひとつ、特別なものに恵まれてるんじゃない?たとえばペニスとか?

スターになりたい、光り輝くスターに、偉大なスターに、とにかくそんな最高のスターに!そしてもしいつかそうなったら、もう失敗はしない!さあ、きみとファックするぞ!

ファッキングスター!

それじゃあ、星空まで飛ばしてやる!もう失敗はしない!

謙虚な人!

ここではなんでもファックだ!

クソ、わたしはおカネ。

この流通するバーチャルなマテリアル、わたしたちもそういうものからできているのかもしれない、この素材から。

それってなんていう約束事に従って流通してるんだろう!わたしたちそのもの、わたしたちがそれこそ自分だと考えるもの、それをおカネは内に含んでるなんて。

あなたは自分自身をどういうものだと思ってる?わたしに言える?

自らの所有関係―金銭関係を演じる主体性。

わたしはいま、人肉を食べてる。そんなこと、知らなかった!ここで人間の肉を食べてるなんて!それは、表示されてなかった!

あなたのクソボディとファックしてるあいだ、わたしはなにかの感情をなんとかかき集めようとしてる、なにかつながりを感じようとしてる、あなたのつまらないクソボディとファックしているあいだ。いまの音楽はかつてないほどすばらしい。わたしたちの愛しかたは、かつてないほど身の毛がよだつ。あなたとこのつながりを欠いたポルノのセットの前でファックして、なにかつながりのある経験を手に入れようとしているときには!

そこでなにしてる?

なにしてるように見える?アレをプッシーに入れてるの。

さあ、もういいから、ドアを閉めて!

なにしてくれって?おまえは俺の女房とファックしえるんだぞ!女房とファックするのをやめろ。ファックをやめろ!ここでファックされちゃあかなわない。それでなくてもここはファックだらけだ、おれはしょっちゅう振り回されてる。おまえがのべつまくなしにファックしてることに!

それじゃあ、あんたもファックすれば。

はァ?

希望は、まずない。

はァ?ここはファックだらけだって、言ってるだろ。

それじゃあ、あんたもファックしな。

そこでなにしてる?

なにしてるように見える?アレをプッシーに入れてるの!

わたしは美人、それってけっこう重要。そのクソみたいなことが重要。わたしが美人ってこと!

だれでもなにかが優れてる!でも、わたしにはなんにもない!でもあなたには、良いところがある!このクソ!自分にどんな価値があるのか、表示されてればなあと思ってた。でも、なにも書かれてない。だけどあなたは美しい、それは価値。あなたにどんな価値があるのか、そこに表示されてる。

ええ、そうね、わたしはきれい、でもそんなクソには、なんの価値もない。どうしてその価値は無価値なんだろう?おねがい、おねがい!わたしのなかに出して!あなたの子どもが欲しい!欲しいの、あなたのクソガキが!

愛してるってだれかが言うけど、その意味をここではだれも知らない。ここではなぜかだれも知らない。みんなでここに集まって、お互い親密な関係。ここでは。どうやら単にわずらわしいだけみたい。愛してるって、いまはだれかが言うことは。そんなの、ここじゃあ場違いだ!

愛とか人生とか、そんなおしゃべりはここじゃあ場違い!人生、人生を送ること、ポルノ映画における感情、それってどんな見かけをしてるんだろう?彼が、あるいはわたしがあなたを愛してると言うとき、それはどんな見かけをしてるんだろう?

うすぎたない売春婦、ファックから戻って、それから・・・

・・・ええ、そうね、でもとにかく、わたしたちはそれをずうっとしてるんだから!撮影してジャックがアクションって言って、そしてファック。あなたはどうだか知らないけど、でも、わたしはファックする、それがわたしのできることなの。このポルノのなかで、わたしはいったい何者なのかを告げてくれる!ここではみんな、ひっきりなしにファックしてる。あなたもわたしの隣でファックしていいよ、そうしなよ。もしあなたがわたしを愛しているなら、わたしがファックするのを眺めてて。

うるせえ!

ああ、そう、だめなのね、でもそれなら、わたしのことを愛してるなんて言わないで!そこでバカみたいに突っ立ってないで、わたしがファックするのを眺めてて、そしてこう言ってみて、わたしを愛してるって、そんなこと、もう信じないから。

あなたはいろんなやつとファックしてて戻れないって言うくせに、さあこれから山に行こうなんて言ってきたりする。どうすればそれを整理捨して、つながってる感情をもてるんだ?あなたの言うことはジョークだ、ぼくのつながってる世界のなかではね。このアバズレ。あなたの世界のなかでは論理的なんだろうし、それはご自由にというしかないけど、でもぼくの世界では、ただのジョークだ。でも、あなたがあなたがまた急につながりのある感情や市民的な幻想を抱いたとしても、誠実とかそういうクソみたいな話はしないでくれ。そうだ、もしかしたらぼくは夢の世界に生きているのかも。親密さっていう幻想を、あなたと一緒に買おうとしているのかもしれない・・・。でも、それもぼくという人間のなかの話だ、ぼくであり得るあらゆる可能性のなかの、おカネが実現するあらゆる可能性のなかの。おカネに含まれてる、あらゆる可能性のなかの話だ。

あなたの口から出てくる言葉には、きっと意味があるんでしょうけど!あなたの言葉、あなたの行動が矛盾してることに、わたしはなぜか絶望しちゃう。あなたの無秩序な感情生活は全部、社会的ペテンの上に成り立ってる!

わたしがあなたを壊そうとしてるなんて、どうしてそうなるの?このポルノには愛なんてないはずなのに。

おカネがかかる。そういう映画には、信じられないほどのおカネがかかる。つまり、そういう映画には・・・アメリカのドル札が、たくさん要る!

食後だっていうのに、クソッ!映画を作るには、おカネがかかる。ビデオカメラが要る、俳優が要る、照明が要る。そしてあっという間に、百万、二百万が消えてなくなる。

働いて、働いて。でかいペニスの男十五人や二十人、出かけてっていつでも見つけてやる。だが欲しいのはそんなものか?欲しいのは俳優!俳優が必要だ!

まあ、それは斬新!

ペニスとおっぱいが必要なんだ、クソみたいな年間会員だかなんだかを劇場に呼び寄せるには。でも、イッたあともそいつらを椅子に座らせておくにはなにが要る?なんだと思う?美と、舞台芸術だ!

観客に言いたい、目にしているのはお粗末なクソ安物でも、超女性差別的搾取でもない、偉大な舞台芸術だと!

ペニスとかクソ人種差別とかおっぱいとかね。それはそれでいいけど、でも「イッた」あとでも、美というものが手に入る!アンバーを見に劇場に来て、女性差別的なクソを見て、一発抜いて、立ち上がって、出て行く、そんなのはもううんざりだ。必要なのは、偉大なる舞台芸術!なんの話か?きみの内面を見せるということだよ、ダーク!心のなかだ、ペニスだけじゃなくて。ああ、そうだ、それも見せるが、でも心の中身も見せるんだ!もうだれもストーリーにつばを吐きかけないように。

みんなストーリーにつばを吐く!

小市民的な価値なんてファンタジーのなかにしかないけど、でも観客をストーリーに引き込みたい!出しちゃっても、そのあとずっと席から離れられないってくらい!結末はどうなのるか見るために。観客なんてそもそもの話、クソの結末がどうなるか見てみようなんて気はさらさらないんだ!

愛がクリアな概念じゃないってことには関心があるようだけど!

出したあとでも観客には出て行かないでいてほしい。ダーク、ファックのあとのきみが、うちなる心を抱きつつ演じている様子を、観客に見てほしい!文化とはかつて、人間的な価値をもったいぶらずに開陳すること、人間的な価値に血肉を授けること、その可能性としてあった。つまりは官能的な体験の問題なんだ!要するに観客が見続けてくれること。たとえ女性差別的なクソのあとでようやくダークの芸術的演技に焦点が絞られ、そのまたあとで再び女性差別的クソが映し出されるなんてなりゆきでも、観客が劇場にやってきて最後までいてくれること。

ポルノでは愛はクリアな概念じゃない、それってすばらしい!

人間性の根本を共通の了解事項として、ここに集まっているわけじゃない!観客はみんな、ただヌキたいだけ。それはどういうことだろう?俳優がひどいからだろうか。よい俳優を見つければ、観客は席をただずにいてくれる。お粗末で女性差別的なクソ話が一段落して、俳優の演技に集中できる場面になっても。

あんまりまじめに聞かなくてもいいよ、ダーク。理論的にはそうかもなってくらいだから。

夢夢夢夢夢!

そう、ペニスと俳優を同時に見いだすのはなかなか難しい。それは認める。
これからローラー・ガールとファックする?

ええ、お願いします。

それとも、ローラー・ボーイとがいいか?いまはここにいないけど、でもそいつともファックしていい。もうすぐ来る、そしたらそいつとファックしていい!

ふうん、なるほど、でもここ「ピット」ではむしろ、文化的なクソで観客を会場にかき集めて、やって来たら、ポルノを見せるってことなんじゃないの。

いいねえ、そういうの。

文化とはかつて、人間的な価値に血肉を授ける、その可能性としてあった!きみについて言えば、それはものすごく偉大なものだったかもしれないし、ひどく安っぽいものだったかもしれない。ベイビー、どっちだってあり得る。安っぽさと、偉大さ。このポルノでは、その両方が並んでる。わたしはいつも、自分の映画を下術的なものにしたいと願ってきた。それは知ってるね。ひょっとしたら、このポルノ映画は、芸術的なのかもな!だってこの映画、みじめでかつ普遍的だから、わたしのみじめな状況が、つまりは人間の普遍的な文化、主観性のイメージがきみに祈りを込めて「ちょっと、そこのきみ!」と呼びかけて、そしてきみは振り向く!ああ、なんて偉大で普遍的なんだ、この安っぽくてみじめなクソ野郎は!それを人は文化として、嬉々として開陳する!安っぽくて、みじめなものを!クソ文化とは、個人的なことと普遍的なこととのあいだをぬけ、みじめな日常的アイデンティティとみじめな状況を迂回し、ただ進むだけなのだ!

一度ぜひ、ジャックのウチを見て。ブギー・デイズの、ダーク・なんとか、クソ野郎!

あのなんとかは映画制作者。あのウチ、たっぷりおカネをかけたみたい。

そう、でも見る気はない!

ノー!ノー!ノー!

なんか歌って!

コカインのもとに、親密なファミリーの集い。

うん、それはいいけど、でも、なんのこと?

ブギー・ナイツで?

このポルノ映画で?

カメラにこのラインが映る・・・

それは映画全体をつらぬいてる。

それはストーリー・ライン。

このポルノ映画のストーリー・ライン。

そしてそれを今、あなたが吸い込む。

ストーリー・ラインを吸い込んじゃえ!

そして、なにもなくなった。以上、これがストーリー・ラインでした、さあ、そこにいるやつと入って来てよ、始めよう。

電話をかけて、そしてそこで・・・

わたし弁護士を知ってます、なんのことかおわかりですね。あそこには弁護士が何人かいて、そのひとりを知ってるんです。ええ、そうなんです。

ポルノスター、法的援助を受ける。

そんなことってある?ただ、息子にハローって言いたいだけ、それだけなのに。

アイム・ア・スター。アイム・ア・スター。アイム・ア・スター。

カメラは略奪品のなかにある、さあ、始めて!

わたしにはもう、子どもがいない。昔はいたけど、引き離された。わたしがずっとポルノのなかに居続けたから。この忌々しいポルノのなかにわたしはいる!それで忌々しい生活費を稼いでる!だから子どもたちはわたしから引き離された。わたしのなかで上演されているのは、ポルノだけだから。それで子どもたちが引き離された!

裁判所でね。

そう、このクソ法廷の前で。わたし思った、裁判所はポルノだって。法廷で、わたしはファックされる!ポルノに関わってるってだけで。それって犯罪?!昔は子どもがいたけど、引き離された、わたしがポルノのなかにいるから。わたしポルノのなかにいる、ここで生きてるから・・・ええ、いいでしょう、わかりました。でもひとつだけ、条件がある。

いいえ、条件なんかありませんよ。よく考えてみました。ヒステリックになってただけです。

わたしは愛せない!

どういうこと?それ、どういうこと?

どうって、そういうこと!

でも、譲れない!あなたはわたしを愛してるんでしょ、それは譲れない、この変態!

へえ、もしそうじゃなければ?

黙って!そんなこと聞きたくない!

あなたを愛してるかどうか、それが知りたいことなら、どう答えていいかわからない。その愛ってどんなものなのか、全然わからない。よく考えてみた?とにかくわからない、なんなの、愛って!いいかげん、わかって!

嘘ついてないのはわかってる。でも、あなたが自分の感情について言ってることは、間違ってる。感情にそんなふうに順番をつけるのが、そもそも矛盾してる。そんな順番なんてありえない。嘘ついてないのはわかってる。あなたの言うことは、たいていなんでも信じていいと思うでも、これだけは別。普通考えられない、そんなやり方でだれかと関係を持つなんてこと。

もしかしたら、愛にまつわる市民的なイメージにはそぐわないかも。けどそれじゃあつながりのある感情はもてない。でも欲しいのはそれ。あなたと一緒に、あなたに寄り添いながら、つながりのある経験を手にしたい。でもあなたは、自分の経験を、全然つながってないものにしちゃってる!

もうなにも感じられない!みんな死に絶えた。とにかく、そう。自分のクソガキにもなにも感じない。わたしの子宮は、どっちみちここでは単なるお客さん。ウチにいるように振舞ってと言われたこのホテル、ここでなにか感じろって言われても、訳わかんない。

あなたのクソ人生に、どんな興味を持てば良かった?あなたがわたしを愛してるってことのほかになにを?

わたしのクソ人生に、興味を持って欲しかった!

ええ、わかる、でもそこにはなんにもない。あなたがわたしを愛してる、それだけでいい。

わたしの愛以外にわたしに関心がないっていうなら、その愛ってどんなもの?そのクソ、どんなもの?愛の背後には、なにかがなくちゃならないはずよ。

こんな街にいても、自分がだれなのかはちゃんとわかってる!つながりを失いことなく、問題なく、街から街へ歩いていけるし、つながってる感覚を持てるし、つながりある体験を組み立てることもできる。こんなディスプレー建築の前でも感じることはないわ、かけらなんて、つながってる感覚をずっと抱いてやる!やめて!

このつながりのない都市の前で、なんの問題もなく、つながりのある感覚を抱くことができる。

いつでも自分がだれなのかちゃんと把握してる。こんなテーマパークで、観光客向けの公園で、プールの照明が落ちても。セットのなかで明かりが消えても、なにかを感じる。あなたを消費しても、なにかを感じる。あなたの明かりが消えても!それでも、なにか、感じる!

ご主人はどうしたの?

だれか間抜けなペニスたちにファックされてる。ほんとうにやりきれない。やりきれない、変態野郎。あの後ろで。でも、もう我慢できない!

詩を書いたよ、聞きたい?

うん、聞きたい、このクソ変態!

アイ・ラブ・ユー・アンド・ユー・ラブ・ミー、ゴーイング・ダウン・ザ・シュガー・ツリー!

すごくいいね、このクソ変態!

ぼくはおカネだ!そう、カネ、クソだ!とにかく、そう!あなたは何者でもない、このクソ売春婦!あなたはからっぽ!でも、ぼくはカネ。あるいは、たとえばピエール・クロソウスキイの思考モデル、つまりぼくはおカネで、なにがしかの価値がある!そのなかでぼくはなにかを感じ取る、そういうおカネ!少なくとも、どこかのだれかには価値のあるものだ!この売春婦、このポルノ映画スター、この俳優は、こんなポルノのなかで自分がなにを感じているのか、もうわからなくなってる。ぼくは俳優、自分の感情の大安売りとファックしてる。ええと、いったいぼくはだれとファックしてるんだ?最高で、愛すべきもの、そんなものとぼくはファックしてるのか。自分がなんなのか、よくわからない。でもこのポルノのなかで、略奪の場、つまり人生のなかで、自分の感情を売ってることは確かだ。感じるっていうことも、なにがしかの価値だろう。少なくともひとつの価値ではある、だって自分の感情を売ること以外どんな価値があるかわからないじゃないか、自分の会社で、あるいは・・・あなたのところで、このクソ売春野郎!このポルノじゃあ、ありがたいことに結婚なんてものは登場しない!そんなクソ市民的な関係は出てこないんだ!だからこそたくさんの人間が見に来る、なぜってポルノは、クソみたいな結婚とかクソみたいな交際とかとはなんにもつながってないんだから。愛のなかで、愛とともに生きるなんてまっぴらだ。こんな略奪の場で。愛とはここでは常に略奪品だ!ぼくはやりたいことをやる、このポルノ映画、すなわち人生のなかで、みんなファックしてる!そもそも語るに足るのは、なにがしかの価値を持つものだけ。つまりこのポルノ映画になにか価値を持たせるには、人生について語る必要があるってことだ。このポルノ映画は、いつも略奪の場なんだ!ぼくはすべてを奪い取る!あなたを!ぼく自身を、なによりあなたを奪い取ってきたし、社会的な価値創造に関わるような感情っていうものを奪ってきたんだ。

もしあのすてきな瞬間、手元にカメラがあったら、なにもかも失うなんてことにはならなかったかも。

でも、ファックすれば、すてきな時間をここに、このポルノ映画に、記録しておける。このカメラで、すてきな瞬間を記録しておける・・・

ここでお互いにファックしあっていた瞬間を!

あなたと過ごせてすてきだったわ、ポルノくん。そこにはずっとカメラがあった。

人生なんて、問題じゃない、そんなクソ!クリアにされた人生なんてこのポルノ映画では問題にならない、人生なんて!そんなクソの話はもう口にしない、以前はだれもが口にしていたけど、そのクソのこと、あなたのペニスをここではだれもが口にした!

嫉妬してる?オールドミスみたいに気取ったふりして?わたしのクソ人生に嫉妬してる?

ハーイ、セクシーなローラー・ガール。

だれでも少なくともひとつは得意なことがある。つまり、だれが見てもすごいことが。

ブギー・ナイツでダークなんとかの得意技は、やろうと思えば何度でもイケること。

自分にもいいところがあるって、わかってる。なにか良いことろがあるって!それがなんなのかもわかっているけど、でもそれは言えない!マンマ!あなたには言えない。

なかに出して!子どもが欲しい!あなたの子ども!ほんの少しのあいだでもふたりきりになって、どれだけあなたのこと愛してるのか、伝えたかった。あなたはわたしの、たったひとりの赤ちゃん。息子がいなくなってからの人生で、あなたは最高の出来事。それ、一気に吸い込んで、そう、そんなふうに。すぐにもう一度、反対の穴から、もう一度、そしたら水を一口飲んで。ふたりの息子がいなくて、寂しい。ダークとヒロキ、ふたりが恋しい。いつも思ってた、ダークはわたしの赤ちゃん、かわいい赤ちゃん。あのメス馬は、わたしのかわいい赤ちゃんだって。あなたも彼のことが恋しくない?

うん、まあ。

彼の才能はすごい。あの出来損ないの、ペニス食いの怪物の、ずる賢い豚野郎の才能!

愛してる、ママ!あなたがお母さんだといいな、アンバー!アンバーってお母さんかな!お母さんって聞くから、そうよと言って・・・わかった?じゃあいくよ、お母さん?

そうよ、ハニー、わたしがお母さんよ。

あなたはわたしの社会的ディスプレーの上に射精する、それはとつぜん機能しなくなる。このクソ社会的ディスプレーはもう動かない、あなたがここでクソ精子を撒き散らしたから!わたしの顔は、もう機能してない、このポルノのなかで、クソスペルマのせいで、わたしのディスプレーはもう機能してない!

そしてこの暴走するディスプレーの前で、わたしはつながりある経験を組み立てることができない。

やめて、自分のクソをここでまき散らすのは!このクソポルノスター!

わたしと話をするときは、子どものように振舞っていいの。わたしをこてんぱんに打ち負かしちゃう、あの頭の切れる野獣のあなたとは正反対に。あなたはわたしを打ち負かす野獣だったり、わたしと話す子どもだったり。わたしの破滅でもあるし、わたしがひとりぼっちで破滅していくのに必要なものでもあるし。わたしが必要とするもの!そんなにたくさんのあなたがある。自分を自ら殺せもする、わたしに人生を与えてもくれる。わたしの前で破滅していくこともできる。あなたはわたしの気を狂わせるし、わたしに一撃食らわすこともできる。でも、それってあまりにもつながりがなさすぎる!わからない!あなたはわたしの前で、なにかを手に入れようとじたばたし、わたしを手に入れるために、わたしを撃ち殺すことができる。わたしをメチャクチャにしようとするとき、あなたは決まってほんとうのことを言う。あなたがわたしをメチャクチャにする、それはとにかく、ほんとうなの!それに、わたしはそんな目にあって当然って言うことも!わたしは当然、その真実を引き受ける!

あなたが持ってる価値のこと、ちょっと忘れてた!だってそれは表示されてなかったからよ、ダメ市民さん!

背中に人生なんて背負ってない、それを受け入れれば、あなたの顔にあらゆるクソが理解できるのかも。たとえなにかがあるとしても、それはわたしが理解しているとは違うものなのかも。人生とか、人生にまつわる曖昧なイメージとか。ひょっとしたら、わたしにはぜったいに理解できない人生があるのかも。

それ、自分自身に問いかけてみたことある?

あなたのクソみたいな顔、理解できない!でも、後ろに人生なんか隠れてなきゃ、理解できるかもしれない!ねえ、ダメ市民さん!お札さん、あなたは銀行へいって、自分自身を取り替えてもらおうと思ってる、なぜならまだ大きな価値を持ってるから、でもあなたはほんとうにぱっと見クソ。おカネと同じ!お札は、見かけはクソだけど、それでもすごく価値がある。表示されてるぶんはきっちりと。ある種の非物質的な物質として。見かけはクソでも、大きな価値を持つものがある。おカネと同じように!あなた自身が抱く価値判断を、おカネはそのなかに含んでるとあなたは思ってる。おカネは自分とつながりがあると考えてる。あなたはおカネ。そうであって欲しいとは思ってないけど、でもいかした思考モデルではある!おカネにはあなたと似たようなところがあるし、あなた自身とのつながりかたとも似たようなところがある。あなたは銀行に行っておカネを借りようとする。でも絶対貸してくれない、それが、あなたとあなた自身とのつながりかた、それはおカネ。分かち合えない。あなたはそこで、孤独に、自分とだけ向き合ってる。自分自身と、おカネと、このクソ、分かち合えない!このダメ市民!あなたはここじゃ、だれともなにも分かち合えない!

ソイレント・グリーンでは、生きることに耐えられなくなった人びとが、ほぼ自殺に近い形で、自分自身とプラクティカルな関係を結ぶことになる。人生に疲れた人びとはある種のホスピスに行き、処置を受け睡眠状態になる。死にゆくなかで自分自身との関係がより明確に、強固になりつつ、彼らはここで、その人生の最後に二十分間、前方でまばゆく展開される願望のイメージを目のあたりにする。映像が流される、そうであって欲しかった世界、そうであった世界、そうでありえた世界の映像が。しかし、世界が変化するのだという事実がどこに見いだせるのか、世界それ自体から読み取れないとするならば。映像からでは、もちろんない!

死、それはソイレント・グリーンでは、自ら望んで得るもの。人々は映像を見せられ、世界やセックス、破綻無き自己体験のプロセスとはこうあり得るのだ、こうあり得たのだ、そんな観念を手に入れる。わたしは自分とどんな関係にあるんだろう?

草原の鹿たちとポルノ映画。そしてあり得ただろうセックス・・・

・・・このポルノでは、それはずっとあり得たことだった。ここで撮影して、セックスして、ぼくらふたりで、三人で、四人で、五人で、ぼくらはいつもファックできる、そう、できるんだ。

自殺とは、この「わたし」を自分自身とのプラクティカルな関係のなかに置くっていうこと。

でもその前に、生きることに耐えられなくなることでも、自分自身とのプラクティカルな関係が結べる!それ以外はなにもなし!あるいは死を除いては、なにもなし!

見える?すてきじゃない?

あれが人生?

あなたはここで横たわり、死につつある。あなたはおカネ。あなたがおカネであること、もしくはソイレント・グリーンであること、それって不思議。あなた、死の床についてるっていうのに!

あなたは不滅でありたいと思ってる、おカネと同じように。それなのにあなたはもうすぐ死んでいく、ソイレント・グリーンになる。不思議だ!あなたはおカネ!そして、このソイレント・グリーン、こいつは人肉。うまく結びつかないな、あなたがおカネで、こっちは人肉だってことが。

自分が生きているっていうこと、この生きられた人生が自分のものであること、それはどうしたらわかるんだろう?

ぼくは支配なんかされない、そうだろう?

クソみたいな最後の言葉!

わたし、もうすぐ死ぬつもり。

うん、わかってる。

おカネは分かち合えないもの、痛みなんかと同じように、病気もそう。病気は分かち合えないもの。病人はとくに、それが意味するのはほかでもない自分自身だとよくわかってる。おカネとは、これこそが自分自身だとみなすものを、そこに含んでいると推測される。そしてまた、可能性をどうにかマネージメントするものだと。

わたしは死ぬの、今?それが知りたい。今わたしは死んでゆくのか、それを知らなきゃならない!

生と死、それはわたしにとって、ぜんぜんクリアな概念じゃない!

覚えてるかな、ママ、あの頃のこと、ぼくがあなたのポルノのなかにいたときのこと!ぼくは今、あの非芸術的なクソから脱出した。あなたのポルノ映画ストーリー、あれにはもう興味がなくなった。あなたの子宮は、ここでは単なるお客さん。あなたの子宮は、このヘテロ・ポルノのなかで、客としてもてなされてるだけなんだ!

わたしはつながりのない感情よ、言ってみて、わたしはだれ?

もしわたしたちが、自分たちのことをなんでも、愛を仲立ちにして語り合えていたら、きっとすてきだったでしょう、それがわたしの望みだったのかも。でもそれは、支払いとともに終わってしまった。そうはならなかった。あなたは今でも、愛を抱いてわたしに問いかけてなんてくれない。視線や言葉でじゃなくて。だからわたし、今でもそうだし、これからもずっと、絶望することになる。あらかじめそう言っておこうと思う。なぜってわたしには会話というものが失われるだろうから。あらゆるあなたに関しての。あらゆるわたしに関しての。

それはつまり、わたしは今から死へのトレーニングを始めなくちゃならないっていうこと。生がわたしから失われるっていうこと。あなたはここでわたしに、死を演じてみせる、こんトレーニングを演じてみせる。そんなこと、わたしの神経には耐えられない!あなたがここで横たわって、死ぬまねをして、血を吐いたりすることなんて。あなたのそばにとどまって、あなたが死んでゆく様子を眺めることはできるかもしれないけど、でも、あなたはわたしを愛していないでしょう、どうすればいいっていうの?それじゃあ、最後まで演じきりましょう。いつまでもここにはいられないから。そうなったら、なにかもっと良いものが、死んでゆくあなたのことを見てくれているでしょう!今のわたしよりももっといいなにかが!でも少なくとも今は、あなたとトレーニングできる。演技っていうものを、演じましょう。

おカネは、すべてを演技、遊戯にしてしまう。わたしはここでおカネと一緒に、わたしという人間を演じ通そう。

あなたの価値を、あなたのどこに見いだせばいい?あなたの価値を読み取ることのできる場所がどこかにあるはず!おカネと同じように。もっとも、おカネって、そもそも存在しないものから、不滅のマテリアルからできてるはず。あなたはもちろん、そうじゃない。

世界は変化することを、世界それ自体から読み取れないなら、どこで見つければいい?

しょっちゅう忘れちゃう、あなたがもうじき死んでいくってこと。今、そしてあらゆる瞬間に。わたしたち、いまはなにも感じられない。それってほんとうにクソ。今はどうやっても見つけられない。少なくとも、つながりのある感覚は、なにひとつ。

おカネとはそもそも、存在しないものから、不滅のマテリアルからできている。あなたと同じように。あなたはほんとうのところ、不滅のマテリアルからできているに違いない。

愛は一体、わたしたちのなにをわかっているというんだろう?愛はわたしたちの事を、なにもわかってない。わたしはあなたを愛してる。

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